アゴラ・シンポジウムに参加して(1)

5/30に神田で開催された、「アゴラ・シンポジウム」に参加してきました。

3月のJTPAカンファレンスでナマ梅田さんに会いに行ったので、今度はナマ池田さんを見に行こうと。


パネリストに西和彦さん、池尾和人先生、そしてGoogle名誉会長の村上さんが出演されるのも魅力的でした。



特に西さんは、直接会ったことはないのですが、僕が12年間勤めた興銀では、なにしろアスキーも西さんも有名でした。独身寮でとてもお世話になった先輩がアスキーを担当されていたのですが、西さんから週末でも寮に電話がかかってくる。まだ携帯電話が普及する前の時代です。


それにしても独身寮ですよ!独身寮の代表電話に、あのアスキーの西さんが電話かけてくるんです。


それだけじゃあない。西さんは夜中でも行員通用門から、「よっ!」て守衛さんに挨拶して銀行の中に入ってくるんだそうです。古き良き時代とはいえ、僕が入行した頃(1990年)にすでにアスキーへの貸出の一本一本は、生半可なことでは継続の決裁が通らない、のるかそるかの次元になっていましたから、守衛さんも顔なじみになるほどに何度も呼び出されていたのでしょう。役員の一人がハンコを押すことをサボタージュしたため、先輩は辞表をたたきつけて雪山に篭り、慌てた周囲がとりなして稟議が決裁されたという話も聞きました。


ただ、ふつうに銀行の視点からみると間違いなく「困ったチャン」だったアスキーにも西さんに対しても、興銀内ではなんというか、なんとかして応援してやろうって雰囲気があったように思います。独身寮でも、100万円をかるく超える当時のMacを揃えている先輩が何人かいて、個人にコンピュータが普及していく将来を熱く語っていました。僕もその影響をうけて、先日クローズした秋葉原ラオックスコンピュータ館がオープンしたばかりのときに、ボーナスをはたいて初めてのPC(LC575)を買ったのです。西さんの魅力とその数々の奇行、そして苦労してアスキーを支えた興銀のエピソードは、ITというまだどうなるかわからない産業への期待をこめて社内で語られていました。


あれからもう20年弱たつのですけどね。そんなことを思い出しながらナマ西さんの話を聞きまして、いや〜ほんと!面白かったしインパクトありました。思っていた以上に実物はジャーナリスティックだった池田さんと対極(池田さんも魅力的でしたが)というか、なんともいい味の話をきけました。元気が出るというか、相手の心に灯をともすことがうまい人だなあ、「ジジ殺し」とはよくいったものだと妙なことに感心していました。


なんだかいきなり話がそれてしまっております。もう遅いので明日書きたします