息子からの返事

宮崎出張から帰宅すると、原稿用紙1枚の手紙が返ってきていた。

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 パパの手紙に答えます。まず、ドランボールのゲームは、最新作の「レイジングブラスト2」を買ってください。それと囲碁の碁板は、パパが買ってくれてもいいんですが、今、家に普通の碁板とワンタッチ碁板があるのでワンタッチ碁板をパパの家においたらどうでしょうか。

 それと、前書いた手紙にそれはまた今度の時と最後に書いたのでそれをパパに言いたいと思います。それは、5月22日に格闘技があて、母の友達が出ることになったので、ぼくは、それを見に行きました。ぼくらがおうえんに行った母の友だちは、清川さんといってとても強いそうです。試合は、全部で9試合あり、その7試合目に清川さんは、出たのですが、相手が弱かったのか清川さんが強かったのかわかりませんが、10分あった試合を約30秒で清川さんが勝ってしまいました。そしたら母が「早すぎ」と言っていました。ぼくは、清川さんは、とても強いなと思いました。

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あちこち赤ペンをいれてやりたい誘惑にかられるが・・・ぐっと我慢。
とにかくしばらくは、「文通を続けること、習慣にすること」が重要。
少々間違っていたっていいんだ。やりとりを続けていく中で文章を書くことに慣れてもらおう。

No.4 宮崎の様子と文学全集

 優太へ

 仕事で宮崎に来ている。宮崎は今、牛の伝染病(口蹄疫:こうていえき)で深刻な状態だ。優太もニュースで知っているだろうが、大事に育ててきた牛を大量に殺して埋めなければならない。酪農家の人たちはどれ程辛いことだろう。それだけではなく、宮崎の牛は、松坂や神戸などの有名なブランド肉牛の種牛なんだ。つまり、宮崎で生まれた優秀な子牛を各地に運んで、それぞれで飼育をして各地の美味しい牛肉ができている。だから宮崎の牛が病気になると日本全国の牛に影響する危険がある。しかも、牛の病気が豚や人間に伝染(発病しなくともウィルスを運ぶ)するかもしれない。そのため宮崎では、車が出入りする駐車場には石灰がまかれ、あちこちに去年のインフルエンザの時のように消毒剤が置かれている。運動会・遠足・お祭りなども中止または延期になっているそうだ。全国から困っている宮崎の人達のために寄付が送られているけれども、まずこの伝染病が鎮静化しないといけない。こういう伝染病や、人にうつる感染症に興味があれば、母さんにたずねてみてごらん。キリッとお医者さんの顔になって、丁寧に教えてくれるはずだ。

 宮崎のおばあちゃんは、抗ガン剤で髪が抜けて坊主頭になっていたけれど、治療も順調でとても元気だった。庭に植えたブルーベリーが大きくなって、たくさん実が付いたから、夏に優太が来たら摘ませてあげたいと言っていたよ。

 そうそう、父さん(私)が小学生の時に読んだ、文学全集から二十冊を選んで送りました。漢字には全て振仮名を振ってあるから低学年でも読めるけれど、内容は四年生から六年生くらいまでを対象にした、どれも父さんのおすすめの作品です。今の優太ならば、きっと楽しく読めるはず。読み終わったら第二弾、第三弾もあるから教えてくれ。どの話がおもしろかったか、感動したか、手紙に書いてくれると嬉しいな。

 二〇一〇年五月三十日 宮崎・一番街のマクドナルドにて

No.3 原稿用紙と母さんとのバトル

息子からはじめての手紙が来た。

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 お父さん、お元気ですか。今ぼくは、5月23日の午後10時25分にこの手紙を書いています。本当は午後9時に書く予定だったのですが1時間25分もおくれてしまいました。まずは、そのおくれたわけを言いましょう。母とも計画をたてたのですが。漢字で母に「初めての字は一行ずつかけ。」といわれたのでかいてみましたが。全然こうかがありませんでした。それで40分もそんしてしまいました。そして算数をやりました。そのとき、時計は、9時15分でした。ですから手紙を書こうとしたら母が、「社会のサブノートを2まいやって。」と言ったのてぼくは、「お父さんの手紙を書くよと言ったら。」母が「お父さんのは宿題でもなんでもないんだから後でやりなさい。」と言ったのでこんな時間になってしまいました。ですがいいことが一つありました。近くのコンビにでガチャポンをやったたことです。一回三〇〇円とかなり高いのですが。プラモデルみたいに作るのでけっこうたのしいしです。これが今日あったことです。もっとおもしろいことが一つあるのですがそれはまたこんどのきかいにしましょう。では、おやすみなさい。

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 手紙をもらえたことはすごく嬉しい!
 でもなるほど妻の言うとおり、息子の国語力は・・・うーん・・・
 とにかく父親としてしっかり付き合うとしよう。


ということで返した返事が以下のとおり

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  優太へ

 手紙をありがとう。とても嬉しかったよ。手紙の中で「お父さん」と呼ばれたのも嬉しい。そうだね、優太も五年生だから、私達のことを「お父さん」「お母さん」と呼んでもらおうか。
 手紙に原稿用紙を使ったのも良いアイデアだね。せっかくだから、原稿用紙の使い方、十個のルールを確認しておいてくれ。わかりやすい資料をつけて、優太の手紙で間違えていたルールにマーカーをひいておいた。ルールはたった十個、間違えた四個を注意すれば、今後は原稿用紙を使うことがとても楽になるはず。囲碁と同じで、何字書いたかがすぐわかるからね。それに、この十個のルールは、国語のテストで二十字とか三十字以内でマスを埋める記述問題でも思い出すといい。

 手紙に書いてあった、母さんとのバトルの様子は目に浮かぶようだ。でも、母さんの言うことにイチイチ反発していると時間がもったいないから、三個のうち二個、慣れたら五個のうち四個は、だまって言うことをききなさい。反発をするよりも、一つ一つの作業(勉強)のスピードをあげる訓練をした方が、優太は自由な時間をゲットできるはずだよ。

 今度の日曜日は、仕事で宮崎に出張して、おばあちゃんに会ってきます。病気に負けず頑張っているおばあちゃんに、時々電話してあげてね。

 二〇一〇年五月二十六日 京都自宅にて

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No.2 琵琶湖疏水と漢字の憶え方

 優太へ

 雨の日が増えて入梅(にゅうばい:梅雨入り)の季節になった。日本は長いから、場所(地域)によって春夏秋冬の様子が違う。パパの故郷の宮崎県は、快晴の時間(日照時間)も長いけれど、雨量もとても多い。京都は降水量(雨と雪を合算した量)が宮崎の半分しかなく、東京よりも少ない。特に七月・八月の京都は雨が少なくて、昔は水不足で困ったそうだ。

 明治時代に、琵琶湖から京都市へ湖水を通すための水路、琵琶湖疏水(そすい)がつくられた。まだ日本に大規模な土木工事の技術が無かった時代、この工事を監督したのは、大学を卒業したばかり、二十二歳の田辺朔郎(たなべさくろう)という若者だった。すごいよね。優秀な人だったのだろうし、他に誰も出来る人がいなかったのかも知れない。

 優太がもし、同じ立場だったら引き受けるかい?パパが同じ立場だったら、すごく怖いだろうけれども、チャレンジすると思う。命懸けの仕事になるし、必死で勉強して、何度も現場を見て歩くことになるだろう。でも、多少辛くても大勢の人々の役に立つ仕事にはヤリガイがある。

 琵琶湖疏水は桜の名所で、少し坂があるけれどもサイクリングコースとしても有名だ。夏休みに優太が京都に来たら、パパと一緒に行ってみよう。

 ところで、優太は「びわこ」を漢字で書けるかい?ちょっと難しく思うかも知れないが、よく字を見ると、「琵」も「琶」も「王王」がついているだけで、簡単な組みあわせだ。実は、社会(歴史とか地理とか)でみる漢字は、国語のテストで出てくる漢字よりも憶えやすいとパパは思う。沖縄県の県庁所在地の「那覇」とかよくでてくるけど、「西」と「革(かわ)」と「月」って憶えればいい。「革」は馬の鞍や手綱、馬に乗って月のぼる西に向かっている。「那」は「奈良」の「奈」と同じように、音を表す漢字なのだけど、日本語では「な」という音は美しいイメージがあるんだ。だからよく地名や人の名前(特に女の子の名前)に使われる。「覇」は、優太の好きなドラゴンボールやワンピースでも、「覇者」とか「制覇」とか出てくるよね。だから、那覇には「美しい島々を治める」意味があるのだろうとパパは思っている。
 歴史や地理で登場する漢字は、そんな風に色々な想像を湧かせるものが多い。だから漢字ドリルの内容など早く追い越して、色々な本から漢字を憶えるようになって欲しいとパパは思う。そうなると楽なもので向こうから勝手に頭の中に入ってくるから。


 さて、優太と約束したゲームの話をしよう。PS3ドラゴンボールのゲームは、「バーストリミット」と「レイジングブラスト」の2種類があるのだが、どちらがいいのかい?最新作は「レイジングブラスト2」だから、それで良ければ夏休みに京都に来るまでに用意しておく。そのときは囲碁も出来るように、碁盤も買っておこう。初心者のパパに負けると恥ずかしいぞ!

 二〇一〇年五月二十四日 早朝に東京へ向かう車中にて

NO.1 息子よ 文通しよう

ひょんなことから、東京の息子(10歳・小5)と文通をすることにした。
自分に課したルールは以下のとおり

  1.とりあえず50通続ける(封筒も50枚購入)
  2.週一ペースを目標に、書きたいことがあれば随時書く
  3.息子から返事がこなくとも、50通は書く
  4.ボールペンでいきなり便箋に書く。書き直さない
  5.書き終わったあとに、バックアップのためにブログにそのまま転記する
    (なかなかブログ続かないから、これくらいは更新しよう)

 ということで、第一通目はじまりはじまり。

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優太へ

 ママが、優太が字が汚いこと、漢字が書けないことをとても嘆くので、パパは自分が小学生の頃を思い出してみました。パパは、書道は幼稚園の頃から習いましたが、字は決して上手ではありませんでした。

 筆をつかって書く字と、鉛筆やボールペンを使って書く字(「硬筆」といいます)は、かなり違います。筆(毛筆)を使うと個性豊かなパパの字は、硬筆だとクセのある格好良くない姿になってしまうので、パパは硬筆の授業が嫌いでした。パパとは比べようも無い程に美しく整った字を書くクラスメートが、とても偉く、うらやましく思えました。

 でも、パパは手紙を書くことは好きでした。
年賀状以外に最初に手紙を書いたのは、小学校三年生の秋だったと思います。仲良くしていた女の子が、遠くへ転校してしまったのですが、しばらくして手紙をくれました。とても嬉しくて、一生懸命 国語辞典とニラメッコしながら手紙を書いたことを憶えています。まだ学校で習ってない漢字をワザと使ってみたりしました。

 女の子だけでなく、男の子とも手紙はよく書きました。クラスの暴れん坊が、彼の顔からは想像も出来ない上品な字を書くことや、クラスで一番賢い奴が、とても読めない汚い字だったり。授業の時に書く字とは少し違う、手紙を書く字は人それぞれだ、という事を知りました。同時に、たとえ字が汚くても、書いてある内容と相手に読んで欲しいと願って書く気持ちがこもっていれば、それはとても素敵な手紙だと思いました。

 だから、パパは硬筆は嫌いだけど、文章を書くことは嫌いにならなかったのです。手紙と作文を沢山書きました。

 誰かに向けて書いた文章は、授業やテストで仕方なく書いた文章と全く違います。字が美しくなくとも丁寧で、漢字も自然と使えるようになります。日本語は平仮名だけでは読みにくくて、適度に漢字を混ぜた方がバランスが良くわかりやすい言語なのです。

 パパは、優太が作文を書くことに興味をもってくれていること、そしていつも色々な話題を考えていて、何かを相手に伝えたいと思っている事を、頼もしく思います。優太はきっと文章が上手になります。漢字だってすぐ使えるようになるはずです。なぜなら、文字は「伝える道具」だからです。

 パパは、優太にその道具を早く使いこなしてもらいたいし、文字や文章の楽しさを体験して欲しいと思います。だから、毎週優太に手紙を書くことにしました。是非、返事を下さい。パパと文通をしましょう。

二〇一〇年五月十八日 京都へ向かう新幹線車中にて

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